eriです。今回はいただいたコメントがすごく重要な視点だと思ったので、それに対する自分の意見を述べたいと思います。結構、思いつくままに書いて長くなってしまいました(汗
先日以下のようなコメントをいただきました。
>「日本のNGOは自虐的に自国政府を非難しがちですね」略「それにしても特に欧州政府はNGOを使っての政策実現が上手ですね。ナイーブな日本はいつも手玉に取られています。」

とありますが、私自身はそんなつもりはありませんし、日本のNGOの方々とお話していてもそのような風に感がているとは思いません。(お会いする前は私もNGOはと思っていた頃もありましたが…)むしろ政府の方々ともとてもいい関係だと思います。
しかし、私のレポートからも周りにそう伝わってしまっているのなら、気をつけないといけません。重要なご指摘ありがとうございます。
ただ、地球環境を守ることが必要だと考えているのは私の立場なので(もちろん、貧困や発展その他の社会状況とのバランスをとることは必要ですし、最近の話では何の策略もなしに40%削減を目標にしろと言ったりしてるわけではありません。)、それ自体が偏ったものというご指摘であれば、その通りだと思います。ただ、この立場はNGOに人達に影響を受けたということに関係なく、大学で学問を学ぶ学生の立場としても持っています。東京大学を中心にすすめられている「サステイナビリティ学」は、私もそれを学ぶものの一人ですが、この立場を科学的、学問的に支持しているものと思います。

さて、NGOの話に戻って、私の考えをのべさせてもらうと、確かに、欧州の政府はうまくNGOを使っています。しかし、もちろんNGOからの批判は山ほど受けています。ただ、それはある意味当たり前だし、ある程度彼らの意見も聞きいれられているし、彼らのことも認めているように思います。日本がそのようにした方がいいとは私は全く思っていません。議論の仕方や、批判というものに対する考え方、文化が違うと思っているので、日本では、日本らしくうまく助け合う仕組みができないのかと考えています。(国際的に行動をすることを考えれば西欧的な“議論”になれないといけないのかもしれませんが。先日の公用語の問題に通じるところがあると思います。)確かに、それになれていない日本の政府に対してNGO的活動を行うことは酷かもしれません。
それでも、例えば、地球環境と経済が対立すると考える産業界がいて、その意見で政府を後押ししているとすれば、地球環境を守ることは必要だし、それは社会のためにもなると思った政策者がいたとしても誰の後押しもなければ、それは実施されないのだと思います。そんな時に、市民の願いとして後押しできるのがNGOであり、彼らは非難ではなくて、いつでも支援をするよという意見表明をしているのだと思っています(もちろん団体によるとは思いますが)。
しかし、日本では市民社会というものが確立されていないし地位が低い、ともすれば怪しい団体と思われがちです。地球温暖化という専門家や経済だけでは扱いきれなくなった、全市民に関わる問題にたいしては、市民の行動というものが求められてしかるべきではないでしょうか。そんなときに、NGOという組織が市民を代表しうるのではと私は期待しています。
加えて、私がよく思っているのは、マスコミが取り上げるほんの一部の情報、コメンテーターやキャスターの述べる一面的な意見・見方だけを信じきって他のことに気付かない市民社会ではあってほしくないということです。そのような時に、違う視点を投げかける組織としてもNGOはその役割を果たしうるのではないでしょうか。

私は以上のように考えているので、日本政府もNGOも批判するつもりはないし、彼らはお互いにいい関係を持っていけると信じています。もちろん、政策や考え方におかしいものがあればそれに対して意見を述べるのは、人や団体自身を批難するものではありません。そして、NGOが市民の代表たりうるには、声なき意見を勝手に代弁することなく、市民からの意見、注目を集める必要があると思います。そのような時に、彼らが頭を絞って、みんなが楽しめるように、派手なキャンペーンやイベントを行うことは、馬鹿げたことだとは私は思えません。

ここまで、すごくまとまりなく述べてきてしまいましたが、市民一人一人が活躍できるような社会、それを反映できる政府、そんな社会を日本がつくりだせればいいなと思っています。そして、できるならどのような立場からはわかりませんが、私も関わって、創り上げていければいいなと思っています。
by eri.A